信号・対処・あの世と自分
街ゆく人の服装を見ても、厚いコートの人、軽々と薄着の人、いろいろですね。 気持ちは春本番へと向かっていますが、まだ体がついていってません。調子を崩しやすいときですので、風邪予防怠りなく、気をつけていきましょうね。
昨日は、渋谷のisola BELLAで、甜茶をたっぷりいただきました。どうやら、花粉症様が、いよいよ私の体内でも稼動しはじめたようなのです。「今のうちに、甜茶で流して、流して」って、isolaの店長さん(花粉症の先輩^^)から、鼻のかみ方などの逆アドバイスを受けておりました。
ヤンキースの松井選手が「鼻を取り替えたい」と言う感覚も、わかってきてしまいました。思春期の頃、クラスメートにかなり遅れて生理がはじまったときの戸惑いと喜びが・・・ありませんって!
他に、私が所有する不快なアレルギーは、金属系。イヤリングやネックレスを地肌に長時間つけていると、皮膚がほころびてきます。 理由がわからないとき、ただれるままにしていて「エレファントマン」と呼ばれたことも・・・。だからピアスはできません。猫アレルギーの友人は、我が家へ来るとティッシュの使用量がばかになりませんし、そばアレルギーの友人は枕投げに参加できません(?! 命に関わるそうです)
でも、「もうこれ以上受け付けません」と、からだが信号を出してくれているわけですよね。この信号機能がないままに、アレルギー物質をからだに取り入れていったら…と想像するとおそろしい。アレルギーは煩わしいものだけれど、信号がなくなるほうがもっと怖いと感じます。
・・・ 信号を嘆かないでください。
なにか、不快で不本意なことが起こったときに、「絶望する」か、「対処する」かで、人は、大きく分かれますね。
絶望の下降エレベーターのスピードは急であり、対処の階段はゆるやかなものです。
どういうわけか、人は、急激なものを選びやすいのです。まるで自分を無くそうと急ぐように・・・
これは、過剰にエネルギー消費する人間が増え過ぎないようにという、地球の仕組みなのでしょうか?
アレルギーの話は例えであって、もっと深刻なことがありますね。でも、下降エレベーターに乗り込んでしまった人でも、戻ってくる人と、戻れない人がいる。 その違いはどこにあるのでしょう。
また、戻らない人の、この世での役割は何なのか。そんなことを、お客様と話すことがあります。
急逝した友人が何人かいます。 さみしく亡くなった人は、あの世でもさみしいのだと聞いて、私は、かなしいのです。
今の私なら、もっと違うことを言ったりしたりしてあげられたのに。私は、自身のことではまず後悔しませんが、亡くなっていった人たちにだけは後悔があります。彼らの死が、今の私へつながる信号だと考えるのは、おごりすぎている。彼らの信号に「対処」しないといけなかった。彼らの身近な人たちも、いいや、彼ら自身も「対処」してほしかった。
けれど…、亡くなった人たちは、生きていたとき以上に、私の脳裏に存在を増して住みついていて、消えるということがありません。だから、彼らは、やはり、生きているとき、言わなかったけど、とてもさみしかったんだなぁ、と、思えるのです。
おかしな話になってしまいましたね。
日が暮れてきて・・・。夕暮れ前の西の空、かすかに赤みが射していました。
上の写真は、GOLDEN DAWNタロット「隠者」のカード。隠者:瞑想、内省、精神的な愛、理解、助言者、研究、孤独、準備、結婚・・・ 私がよく引くカードのひとつです。 恐れの場所の「悪魔」(!…束縛、誘惑、欲望、疑惑、セックス、不健全、不必要な罪悪感、責任)とコンビで出てきます。(書かないほうがよかったかも? 悪人ではないつもりですが)
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