こころ耕す新年であれ
新年あけましておめでとうございます。皆さまの平穏な日々を祈願します。
わたしは三が日は、よく食べよく睡眠を心がけておりました。少々寝すぎていたかもしれず、今日は冬眠から覚めたような気分でした。皆さまは大丈夫?(大丈夫ですよネ)。年末は、ご近所の熊野神社に一年の感謝をこめて参拝し、大晦日は格闘技系^^;と、「紅白」をリア・ディゾンちゃんのところだけチェック(ファンです♡後日、星を書いてみようかな。)
年々、ヒトの「肉体」のあり方や(リアさんもボディや顔の作りと彼女の個性を切り離せません)反応の仕方に目が向かうようになっているのは、精神的な事柄を考えることが多いため無意識にバランスをとっているのか、やはり、精神は肉体に宿るからということでしょうか。
今日は、恒例の初詣。神様に「いつも遅いね」と言われていそうですが、近所の熊野神社では身近な人達の一年の無病息災を、西早稲田の穴八幡宮では一年の金銀融通を祈りました。毎年、同じことだけ祈ります。
前にも書いたかもしれませんが、若い頃の一時期、神社や寺で手を合わすことを避けていました。神社仏閣の建造物や仏像等、雰囲気は好きなのですが、「祈る」という行為に抵抗があったのです。小さい頃から祈ったことが叶えられたことのなかった無念からかもしれませんし(よく祈る子でした)、多く小説を読み智恵がついて、他力本願なんてナンセンスと考え出したからかもしれません。葬儀の続いた時期があり、死に関わることがらを忌む気持ちだったかもしれません。
…「ベルセルク」という少々刺激的な青年漫画を読んでいたとき、その中に、理解を超える姿かたちの敵と戦う主人公が「祈る暇があったら手を動かせ」と仲間に言うセリフがあって、納得できたことを覚えています。
「祈るな!」
そう。祈っているだけでは助からない。
宗教家の方からは批判されてしまうかもしれませんが。
祈っているだけでは実現しない。力を尽くさなければ。
今、自分が、賽銭箱の前で^^手を合わせるのは、力を尽くす原動力として祈っているように感じられます。いつからか自然に再び感謝し祈るようになりました。願掛け、お百度参りといったものも、ナンセンスだと考えたい頃があったのですが、行為する中に祈りがある。祈りの行為は、本来、自分のこころを強くしてくれる導き。
よく祈り、ご縁のある方々のために惜しみなく願い、手もよく動かす^^;年に本年もしたいと思っています。冬眠しないように気をつけます。今年もよろしく。
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