長雨お見舞い申し上げます
よく降ります。九月の長雨のよう。
授業の後、今日までの締め切りがひとつあるのだけれど、どうにも、気持ちがまとまらずに、ごめん!と外へ出て、自由が丘の街をしばらく傘をさして歩いていました。
先日、遠方より訪れた人が、この街は「イタリアと韓国」(の雰囲気がある)と評したとき、なるほどと感じました。
自由が丘は、おしゃれな街として語られることが多いけれど、実際には垢ぬけてないところがあり、そこが落ち着く理由かも。平日だと、若い人たちよりも、高齢の女性がカートを杖替わりに押して歩いている姿が目に付くようなことも。(この街のおばあさん率は高いです。自由が丘マダムがそのまま自由が丘おばあさんになるのかは未検証です)。
歩く速度は、考えるのに適していて。歩く動作は、邪念を払ってくれて。あちこちのウィンドウを覗き込んだりいつもは素通りのブティックに入ってみたり(何も買わないのに「ありがとうございました」と見送られると気持ちのいいものですね)、小一時間もぶらぶらとしていると、落ち着きました。
オフィスに戻って、気にかかっていた人にメールを送信。おそらく具合が悪いのだろうと察していた通りに、具合が少し悪いのだけれどそれでも「ありがとう」という返事が返ってくると、安堵。ありがとうという言葉が出るのは、希望ゼロでない証拠だから。
…先週ぐらいから、お客様の気配がいつもよりも重く、それを払いたいような^^; 受け止めてジーンとしていたいような、不思議な塩梅です。
皆さまはいかが? アンニュイしていませんか。
あなたがアンニュイなときは、知っている誰かもアンニュイなのかも。気楽に連絡をとってみては。
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