月が見てた、なにもかもを
今宵は満月。熱帯の夜。
週末、表参道で見上げた月も、ほぼまんまるで、黒い空にぽっかりと、薄オレンジ色の輪郭をにじませていました。
移り変わりの激しそうな街で、ロイヤルホストは健在。その隣、地下にある「バルバッコア」でシュラスコ料理(バーベキュー)をいただきました。前々からあるお店とのことですが、わたしは初めて。
普段はあまり肉を食べないのですが、ずいぶんといただきました。
串に刺したままの塊肉を、スタッフがテーブルで切り分けてくれる趣向にも興味と食欲をそそられたのでしょうね。気の置けないお仲間もよかった。
血のしたたるような肉片。
食べることは殺すこと。
…というのは、偽善的発言ではなく。そのままのこと。
動物虐待や動物実験を告発するサイトをときどき巡る動物好きのわたしですが、革製品を使うし、野菜炒めには豚バラが欠かせません。
それでいて福島原発20㎞圏内に残された家畜が気になって情報を追っています。アルピニスト野口健さんのブログに目を覆いたくなる写真が何枚か掲載されていましたが、実際の惨状は想像もつかないことでしょう。共食いなどして生き残った家畜も、このままだと殺処分に。
前々から、鳥インフルエンザ感染を防ぐために大量に殺処分される家禽の報道に、何か引っかかりを覚えながら深く考えないようにしていたのもわたくし。
殺処分というとむごいという思いが湧きますが、わたしが肉を食べるのも同じむごいこと。違いはないでしょう。命をいただく、いただきます、と、言いますが、「どうぞいただいてください」と、牛は言いたくないでしょう。
…と、そんなことは、話さないで、大変おいしく愉しい食事会でした。
広々とした店内は賑わっていて、若い女性グループが多かったです。種類豊富な食べ放題のサラダバーがあるので、ヘルシー感が人気なのでしょうか。
草食男子の増加に対して、女性はエネルギッシュで元気な人が多いという傾向が、こんなところでもあらわれているのですね。
「同じ年代の男性だと草食系で、つきあうという感じになれない」と洩らす人が、わたしのお客様にも少なくないことを思い浮かべました。
そうして、パイナップルの串焼きを、ぱくぱく食べていると、
「先月はひどい月だった」、
と、目の前の人がポツリ。
・・・
そうよね。いつまでも、これでよし、ということにはなかなか、だよね。
と、またまた肉の消化を促進するパイナップルをぱくぱくと。食べ過ぎてしまった夜でした。
・・・
昔馴染みの人に久しぶりに会って、
会うことは死なないこと?
丸い月を見過ぎて、感傷的になったのでしょうか、”たま”の声を聴きたくなり ^^
「月がみてたよ」。なにもかもを。
あれよあれよと言う間にテレビで「さよなら人類」が流れていたような若い頃の記憶の「たま」。当時よりも、今現在の知久寿焼さんの姿に、強い気持ちをもらえます。いえ、当時があって今がある。あれからずっと時が続いていて、今もこの瞬間ここに知久さんもわたしも居ることを知らせてくれるからでしょう。
なにごとも、考えすぎてやめてしまってはだめね。
…8月は、暦の上では実りの秋。
今年の実りは、何なのでしょう。
実りを刈り取ったあとはゼロ。ゼロになるからまた進むことができる。ゼロになって増すものは金性。金性とは、前進性と勇気。退く勇気もあります。
退く勇気があれば、
失われずに済んだ多くの命が、過去にも。
今日は終戦の日。
無念の死、これからの死を忘れずに、今が永く続いていくことを願いできることを続けていきたいと思います。残酷だけれどそうじゃないところもある生きものとして。
元気でいてね。
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