カミサマが教えてくれたこと。
明け方近く寝付く前にふと、子どもの頃は神棚にしきりとお祈りしている子であったことを思い出しました。「(父と母が)喧嘩しませんように」、「頭がよくなりますように」(笑)、「魔法使いになれますように」などなど…。拍手を打ったり指を組んだり十字を切ったりしっちゃかめっちゃか。されど気持ちは真摯そのもの。
母は放任、父は全否定(「子どものうちは人間じゃない」と)、そういう家で、年の離れた妹弟とは話があわず、人と理解しあうということを体感したのが遅かった。おのずと、会話する相手は、物語の中の登場人物と、「カミサマ」ということになりました。
寝付けぬ夜にも、「100回祈りますから」とか「今日は300回」とか、ぶつぶつ祈っていたのでした。
カミサマは、願いを叶えてくれたでしょうか?
いいえ。カミサマに頼むだけで自分の思い通りになったことなど、そうなかったように記憶します。
それでも、カミサマを恨んだりなじったりしたことはなかった。祈るということは、不思議ですね。
ひとには何かよりどころというものが必要です。気心の知れた友人や、話せる家族だったり、ときには傍らにいる動物や植物。ひとりでは生きていけません。
今日は、なんの結論もないのです。
つらつらと、そんなことを思い出しながら、3日、家の近くの社へお参りしたあと、早稲田にある穴八幡神社まで出てみました。今年は大切な年なので、穴八幡で配られる「一陽来復」のお札をお祀りしたかったのと、小さな有名な神社を見ておきたかったのと。
お札をもらうのに30分余り待ちました。何であっても、1時間以上待つようなら並ばない私なのですが、空が青いし、まぁいいかと、空を覆って茂る古木の枝葉を眺め待っていました。そんな時、誰と会話しているかといったら、自分とです。子どもの頃も、カミサマと話していたものか、自分と話していたものかは判然としません。他に話せる相手がいなかったからというだけの理由。
なんの結論もないのですが、空を眺めていたら、また父母のことが思われました。どうしてこの親だったのだろうと以前はさんざん思っていたものですが、私が自分とよく会話し考えることを覚え、また、外にコミュニケーションを求め慰めを求め学べるものを求めて、自分が今しっかりあるのは、やはり父母のおかげなのだなぁと思ったことでした。
この年末年始は特に、そういう思いが強く、涙ぐんだりしてしまいました。ヤバイみたい?!です。
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ハリ丸さん、いつも読んでくださっていてありがとうございます。
ここは昔の中国ではないので、「嫁は代わりがいくらでもいる」かどうかは、さておき。
失わないと理解できないとしたら、かなしいですね。
理解しようとすることは、・・・そうしようとさえ思い始めれば少しずつできてくるかもしれません。人によって事情もあるので断言はいたしませんが。
ハリ丸さんの存在も、同じようにお子さんの感性に影響を与え続けているのですよね。
家族というのはかけがえなく困ったものです。
投稿: 恵美花 | 2006年1月 5日 (木) 23:55
心地よい感動。
もう一つのサイトの大みそかの記述といい、
このコラムといい、文章に魂があるって感じ
です。
(真面目な話)姿勢を正して真摯に読ませてもらいました。
中国の故事に、親と嫁のどちらをとるか、
という選択に対し、当然、親というのが
ある。その心は、嫁は代わりがいくらでも
いるが、親は2人しかいないというもの。
親との因縁は切れませんよね。
僕も親が好きだけど、嫌いだった。
甘えたいけど、甘えられなかった。
親の後を継ぐべきだったけど、
継がなかった。
よく自分が親になると、親の身持ちがわかるというけれど、
そんなもの自分が親になってもちっとも
わからなかった。
でも、父が死んでしばらくした時、
初めて父が何を考え、
何をしようと思っていたのかわかって、
独りで泣いた。
だから、今でも青い空を見上げながら、
「オヤジ!どうしよう」と対話する。
反面、今も生きている母の存在は
わずらわしい。
でも、きっと母が死んだら、母のことが理解できると思う。
親の存在ってそんなもんだと思う。
投稿: ハリ丸 | 2006年1月 5日 (木) 00:20