ながい友だちといて思うこと
金曜日の夜に、学生時代のサークルの友人と久々に集まって居酒屋さんで宴会いたしました。新宿の昭和ムード引きずる安酒場で。気軽、気安く、話しやすく、大変なごめてよかったです。
毛穴の奥までしみこむ勢いのタバコの煙だけが困りものですが。
境遇待遇異なり、久しぶりで遠慮のある雰囲気も、アルコールにより打ち解けてきて、突然聞かれたことといえば、
「占いって、あたるの?」 でした。
・・・私に、どう答えろと?
何て言ってもらいたいですか?
実は、私もときどき聞いています(あは)。運命学のテキストや易経や自分が記録してきたあれやこれやのノートに、こそっと。占い学校の師や先輩には、聞きません。聞かれたって困りましょうぞ。
偶然ひるがえったカードやサイン、指先にくっついてきた石の文字に、聞いています、こそっと。
「ほんとにそうなの?」
「なんで当たってるの?」
それから、「どうすればいいの?」と、語りかけます。
語りかけると、内心から返ってくるものがあるように感じられます。先へ進めます。
占い、というか運命学は、いいこととか、悪いこととかではないのです。ラッキー、アンラッキーということではないのです。生き方を問いかけることなのです。(独断!)
こんなことを考えてる時点で、学生時代の私とは違ってしまっているわけですが、学生時代の友だちとして愉しくいられるときには、愉しくそのままでいたい。だから「宿命のような流れはあるみたいだよ」と軽く説明して済ませてしまいます。何を言っても反応は同じと思うので。(ちがいます?)
呑んでいるときは、ただホロホロと愉しく酔っていたいのです。
愉しく酔っていると、人生は短いなぁと感じます。あんまり愉しいと、何故か私はすこし哀しくなる。 終わってしまうお祭りのようなものでしょうか。 でも、私たちのお祭りはまだすこし続きそうと思う、お祭り継続には皆、苦労があると思う、それをわかっていて20年前の思い出話に興じるひととき。 生きるということはがむしゃらで、ときに醜くひとをまきこみまじわり燃え盛りうちひしがれて磨かれて倒し倒されて流されて止まる。かなしいな。だけどキレイだ。万華鏡を覗くよりもキレイです。
・・・少々センチメンタル・デーにて失礼。 占いの話でしたね。占いについて、すぐに確かめられないことは、いったんのみこんで、確かめていきます。えぇ、えぇ、昨夜のお友だちについても確かめるべく、全員の命式を家に帰って算出させていただきました(コクハク!)
いつもありがとうございます。正直者の◎占いブログランキング◎
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モロさん、はじめまして。
うれしいレスをありがとうございます。
そう。考えていく行為って、私、愉しいことだと思うのです。
モロさんのところへも遊びにうかがいますね。
投稿: 恵美花 | 2006年2月13日 (月) 19:56
恵美花さん、こんばんは。はじめまして。
新着記事から遊びに参りました♪
運命学ですかー?おもしろそう!
で、当たるんですか?(笑)
「生き方を問いかける」ですか。
もし、占いで未来が判ったとしても
それだけでは、意味がないですよね。
それを知ったあと、どうするか?
そういうことを考えることが大切なのかも知れませんね。
投稿: モロ | 2006年2月11日 (土) 22:33