求めたときに師はあらわれる
というわけで? きょうだいは郷里へ帰っていきました。「ありがとう。楽しかった。人間ドックは必ず受けてね」との言葉を残して。
今回、自他共に認める”かよわい”きょうだいは、多くの名言を吐いて、私をギョ、ギョっとさせました。
いわく「でも、お母さんはあかるいから許せてしまうんだよねぇ。またいつもの言ってるわ、って感じ。おばあちゃんのときとは違うよ。おばあちゃんは、悪いけどちょっと暗かった」
お母さんというのは同居している継母で、大変いい人なのですが、批評力が鋭く、その一番の矛先がそばにいる彼女へ向かっているようなのです。何と言われているか聞くと、ちょっと心配になってしまうほど・・。
きょうだいは、かつて、実の祖母にいじめられていて(それだけが原因でなく、私にも責任がありますが)心の病の引き金をひいたのでした。コトが深刻になるまで誰も気づきませんでした。
きょうだいは、人がいいというか、何を言われても反発しないで抱え込んでしまうタイプ。学校でもいじめられていたようです。それで、私は、また手遅れになっては大変と怖れたのです。そうしたら、先の発言。
あかるいから許せてしまう・・・。(許す?)
なんという、まさにあかるい発言。二、三年前まで笑顔もなかった人から出た言葉とは思えません。うれしくて、
「そうなの? じゃぁ、私ももっと明るくならなくちゃね。そしたら許してもらえるんでしょ」と、ニヤけて言ってみました。
「○○ちゃんも、もっと明るくならなくちゃね。そしたらみんなに許してもらえるもんね」と、さらにしつこく言ってみました。
きょうだいは、(なに言ってんの)という顔で、私を見ておりました。
いつも「もっと笑って」「鏡見て笑う練習しようよ」とハッパをかけてきた私の、はるか先を行かれてしまった思いです。
油断禁物。ひとは知らぬ間に成長し、ひとは知らぬ間に堕落する。
私はいつでも、きょうだいより多くの知識・経験を蓄えている気になって、きょうだいを置き去りにしてきたような後ろめたさが絶えずあり、彼女に何かをしてあげなくてはと、切迫した義務感を背負っている気になっていたように思います。
ですが、私がある面、浮世離れして、運命学探求に没頭しているうちに、気づくと、彼女は、ちゃんと大地に足をつけ、モノを言い始めている。いつものように心配顔であれこれと将来の不安を訴えるその一方で、これまでとは違う、何か悟ったような言葉が出てくる。
人間は、おもしろいですね。
きょうだいから何かを学べるとは、これまで考えたことがなかった。私は、愚かにも、一生涯、きょうだいの面倒を見ていかないといけないのだと諦めまじりに考えることのほうが多かった。愚かでした。
私の尊敬する人とは、世の仕組みの、なにごとかを私に教えてくれる人です。
その行動で。その存在自体で。
今日も、ひとりよがりな文章でウザイかもしれませんね。しばし、放っておいてください(笑) けれど、私は、うれしかったのです。この世の師が、ひとり増えたことが。しかも、考えてもいなかった、こんなにも身近に・・・
きっと・・・ このきょうだいを心配し割れ物を扱うように大変な努力で庇護している郷里の老父も、でも、いつか、この真実に気づくのではないか、と、思ったのでした。
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