生きる自由は待つのではなくて
夕方になって降りました。雨が突然ザーっとくるとびっくり。車のボンネットからザンザン流れる様子をじっと見てしまいます。
たいていのものにすぐ慣れて飽きてもしまいがちなのに、雨や風がザーっとくるのに、慣れきってしまうということはないものですね。動物なんだ、と、思い出します。
長いいのちの動物。
このところ、年配の方に接することが多くあり(いくつからを年配と言っていいのか躊躇する昨今)、気持ちが”現役”といった人たちに共通しているのは、とにかくよく喋る、あるいは、趣味が多く語れる話題を持っている、あるいは、ブログや日記などよく書いている、ということでした。
また、バランスよくきちんと食べてもいる。
すべて、運命学的には、「火性」の行動。
火性は、精神の未来領域をあらわしますから、よく話しよく書き食を愉しむひとは、未来を生きるエネルギーを大いに稼働させているといえるのです。
…73歳の詩人が、著作のあとがきにこんなことを書かれていました。
「身体には能力ということがつきまとうが、言葉は誰もがそれなりに使える能力を持っている。その能力を使うことで生きる自由を得られる。」(鈴木志郎康「声の生地」(書肆山田))
生きる自由・・・。
作品のみならず、日々の記録を精力的に言葉と写真で記録し続けている人の言葉なので、説得力があります。足腰が不自由になれば、リハビリ通いを詳細に記録し、火性の未来エネルギー稼働の材料にしているのです。積極性を感じます。
生きる自由は、
待っているものではなくて、獲得すべきものなのでしょう。
…ここまでブログ文化が広まり、誰もかれもが、もちろんわたしも、ブログやホームページやミクシィなどのSNSに、様々なことを書き綴っているのは、「なんなんだろうなぁ」^^;と思うこともあるのですが、言葉を書くことによって、生きる自由を得ているのか、と、考えると面白いですね。
コンサートや映画や特別な体験で感動して、これを書いておきたい!誰かに話したい!という衝動にかられたことが、ほとんど誰でも一度ならずあるでしょう。そういうときは、生きている悦びを得ている瞬間。
言葉を発することは、生きる悦び、自由に結びついている。
だから、言葉が出なくなったとき、「何を言ったって仕方がない」となってしまったら、危険信号。
信号に気付いたら早めに手を打っていただきたい。
具合の悪そうな人を見ていると、頭のよく働く人が多いのです。理屈だけで答えを得ようとすると苦しいでしょう。そう簡単に、求める答えは出ないもの。
10年、20年後に今とは違う自分のいる可能性が微量でもあるとしたら、答えを出しいそぐのは、惜しい。
粘って。
喋って。
何度か間違っていいのです。
…写真は、骨とう品店で見つけたガラス玉を使って、ある方がこしらえたネックレス。長さを調節してチョーカーのようにしても可愛いいのです。とても、材料費○○○円とは思えません。目の付けどころがよいのですね。黒いのは、靴紐だそうです。いかに安く仕上げるかが関西流?!とおっしゃってましたけど^^
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モリモリさん、
コメントありがとうございます。いつも読んでくださっているとのこと嬉しいです。
書くことによって満たされているところ、あるかもしれませんね。
気持ちの整理もつくでしょう。
「現在」を、過去倉庫へ整理してつみあげることで、いったん体はゼロになれて、また未来へ向かっていけるということも。
ゼロは前進の起点です。(でも思い出は積み重なっていく)。
過去と未来をいったりきたりして精神のバランスをとり、現実へと前進していく動物でしょうか、ヒトは^^
日記を書いていた過去の自分が、今の自分を助けてくれることが、きっとあると思います。
投稿: 恵美花 | 2008年5月20日 (火) 21:39
はじめまして。いつも拝見しております。
とても興味深い記事ですね。私はもう10年以上も日記をつけています。ノートにですが。書かないと気になって落ち着かず、、。
自分がおかしいのかな?思っていました。
書くことによって満たされているのかもしれませんね。
投稿: モリモリ | 2008年5月20日 (火) 10:12