知りたいときは、待つ。
陽が射してきて。気持ちが上向き、わたしなりに任務完遂^^そろそろ帰宅です。
…昨日、知能線のへんてこな人(重ね重ね失礼)のことを書きましたが、変わった知能線の持ち主の中には、算命学で言う「異常干支」の年月日に生まれている人を多く見受けます。
異常干支というのは、「異常」という漢字がついているので恐ろしい気もしますが、たいして。(問題発言?)
多少異常なぐらいが今の異常な世の中、生きやすそうですし、漢字から受け取るイメージほど怖いものではないというのが実感です。
東洋系の運命学に共通して、「本命殺」とか「天中殺」とか怖そうな言葉が多いけれども、流れを知って現実的に対応したらそれでよいことであって、イメージに惑わされて怯えている必要はないと考えます。
心配するなら準備しろ、
準備しないなら心配するな。
ヒトオのワンパターン格言(゚ー゚;
「常」と異なるということは、昨日書いたように、普通の人とは感覚や運勢傾向の異なる部分を持つというだけなので、普通に生きよう生きようと力まなければ、常ならぬ才能発揮をしていけます。
生まれ日や相、カードなどから導かれるメッセージを併せ見るとき、そこにまたひとつの発見が。複合的に運命学を学ぶ面白さと言えましょうか。
…「知りたい」。それが、運命学を学びはじめた理由。
お客様も、「知りたい」から、わたしのところへ来てくださると思います。
知りたい知りたいと、答えを求めて頑なにもがいていた20代、30代前半。訳が分からず苦しかった。
苦しんでいたのに、誰かに頼りたくて仕方なかったのにつっぱらずにいられず刹那的で破壊的で、親身になってくれる人達を困らせて迷惑をかけたこと、思いだされます。(今、優しいと言われるたびに内心、苦笑)。
そういう苦い思い出も、時を経れば(苦さはそのままですが^^)また何らかの答えとなるのだから、生きるというのは切なくて、でもすごく面白いことだなぁと感ぜずにはいられません。
「知りたい」
ということ、今も、その思いは昔のまま。今も、すべてをすぐに知ることができるのではありません。
それでも、今は、「待つ」ことができます。
「答えは、来る」
という思いが、昔とは違うことです。
知りたいとき、わたしは、待ちます。
訪れてくる状況や人にあらがわず、対応しながら、待っています。もちろん、転換や惑う時には、時期や方角を調べカードや石に自分の事も尋ねるのですが、それでも、
素直に「待つ」、という姿勢は失わずにいます。
待っています。いつまで待つのか最初はわからないけれど、
待てる。というのが、昔と違うところです。
答えは、来る。
と、信じられるから。
…ここ2、3年、もちろん自分で計画をたて行動しているわけですが、それと同時に、自然の流れにまかせて動いているところもあります。
流されるのではなくて、流れの中で力を尽くす、というのが、今の自分には合っているように感じられるからです。そのように伝えられている気がする。
一見、アンラッキーと思える出来事も、実はプラスの流れと後から思えることもあります。たとえば些細な例では、約束がキャンセルされたとき、「せっかく準備していたのに」と一瞬感じるのだけれど、その感情が過ぎると、ホッとする。余裕なく予定を詰め込んでいる今のわたしに、くつろぎがプレゼントされたのですね。
そう転換できると、心は平穏。嬉しくなります。さっそくお気に入りのブログをのぞいて憩ったりご無沙汰している知人に連絡をとったり。有り難くて。
それが、もっと若い頃の自分には得難かった心境。
なにがなくても、心が平穏ということが有り難い。心が平穏でさえあれば、気の重い出来事にも「なんとかなるさ」と向かう力が出ます。理想通りいかなくても、「気にしない」。
お若いころから心の平穏の保たれていた方にはピンとこないかもしれませんが、平穏、それがわたしにはカミサマからの最大のプレゼントのように感じられています。
平穏が、ある意味、障害を乗り越える「武器」となり得る。わたしが心底そう実感していることを、人にも伝えられればなと、ときどき感じるのですが、まだ上手には出来ていないよう。課題。課題があるので、年をとるのが楽しみだし、頑張れますね。
今日はちょっと変なブログ。いつも(゚ー゚)?
下の写真は、中国おみやげのパンダチョコ。熱い抱擁にビックリ^^ 愛の力も、武器ですネ。五行になおすと、愛は土性、武器は金性。愛し愛される人は、土性が燃焼して、金性の攻撃力を後押し。勇気を持って前進する人の支えには、愛があるはずです。
(from 隠れ格闘技好きヒトオ…。隠れてないですケド^^;)






北風が雲を吹き飛ばしたせいで、寒い寒い。





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