ふつうの日のふつうの、
猛暑に豪雨。
今年は本当に、おそろしいと感じないではいられない、わたしたちを脅かす自然は、わたしたちに憩いと恵みを与えてくれる自然と同じ。どう対処すればいいのか? という苦悩、想いは、先祖の時代の想いと変わらないものでしょうね。
変わったのは、自然をなだめるために生贄をさしだすのでなく、現代の知恵を集めて対策を立てられること。過去から学んで対応できること。
この現象から何かを学ぶのでなければ、自然も容赦しないのではないでしょうか。
…と、ご立派なことを書いて、わたしのしていることは、もっぱら小さく暮らすことぐらいのものですが。
年齢とともに増えてくる有形無形の荷物を意識せざるを得ませんが、もっと身軽に、余計なものを減らそうと、
しているのだけれど、本、これが片付きません。
多くは小説。実用書のように生活の役にたたないからこそ愛おしいと言える、物語。折々に処分してきて、今手元に残しているのは厳選本か、古本屋にも売れない頁の変色した文庫本。惜しい、けれど、やはり見ていると暑苦しい。
愛おしいと感じるのは、本そのものに対してでなく、かつてそれを読んでいた自分の時間なのかも。本は関係ない、ちょっと拾い読みして気が済んでから資源ごみに出そう、と、昨夜もパラパラと。パラパラとしてたら、こんな言葉に、心がとまりました。
『「ふつうの日のふつうの心」は描き出されたとき、ふつうでなくなるのだ、と。』
マイケル・カニンガムの「めぐりあう時間たち」(集英社)。本文ではなく、訳者の高橋和久さんが巻末に書かれている解説の言葉です。
7年ほど前に同名の映画を見て、未消化であったため、多くの賞を受賞している原作を読み、さらに「うーん、俗世にまみれ文学色の強いものがピンと来なくなったのかなぁ」というぐらいの感想しか持てなかったのですが、拾い読みするうちに、高橋さんの書かれていることが腑に落ち、自分やまわりの人たちに物語が寄り添ってきました。
めぐりあうタイミングも、大事なのですね。
『「ふつうの日のふつうの心」はふつうでなくなるときを待っているのだ、と。』
そんなふうに、普段でも感じられます。お客様や生徒さんと話しているときにも。
現実は厳しい。ふつうの妻、ふつうの母、ふつうの夫、ふつうの父、ふつうの人であることは、難しい。だからこそ、物語が必要なのかもしれない。物語を語れる大人も。
…片付かないまま夜は更けて。土曜は終日がんばります^^
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