もっと好きにならせてくれよ~。
お久しぶりです^^
今日は、昼間の時間がポカリとあいたので、遅めに出勤。住宅街の庭木を眺めながらのんびりと歩きました。時間を気にせずに歩くと、頭の中に最初はぼんやり湧いてきた想いが、歩調とともに煙の流れのように整理されていくように感じられます。
ひとさまのお宅の風情を眺めるのも好きです。どんな生活があるのかなぁと想像力たくましく楽しめます。(職質されないよう注意しないといけませんが(゚ー゚;
この季節は空も緑も美しくて、冬へと向かう四季の巡りに少々感傷的になるのが、まんざら悪くもなく。訳なくさみしい想いは、自分にとって大切なひとや大切な事柄を意識することにつながっていくので。
10月は嬉しい出来事の続く一方で、ご親族を亡くした方からの知らせもありました。
哀しみに対しては、何を口にしてもそらぞらしいと思ってしまいます。思い出されるのが40代で逝った母の葬儀。涙を見せないわたしと妹を見て、「親が死んだら悲しいもんだろう」と怒ったように言った男性がいて。哀しみは人それぞれに違う。あなたよりよほど哀しかったよと、苦々しく思いだしていた時期があったけれど。今になってみれば、あの人も、母の死を哀しんでくれた、母の生きた証を気にとめてくれたよい人だったと、ありがたく感じられます。
わたしの口にするそらぞらしい慰めも、いつか、そんなふうに思い出してもらえるなら、と願うばかりです。
…それにしても、人の言葉とは、おもしろいもの。時がたつと、それを最初に聞いたのと、違う印象でもう一度味わえることがあるのがおもしろい。そう感じられるから、人づきあいが億劫なほうなのに、他人の話を読み聞きすることが好きなのかも。
またも若気の至りでお恥ずかしい話ですが、毎日のように喧嘩していた同棲相手からこんなことを言われたことがあります。
「(大事にしない、大事にしないと文句を言うなら、おまえのほうこそ努力して)もっと好きにならせてくれよ!」。(カッコ内は、彼の心情をわたくしが想像補足いたしました)。
わたしはすべてを捨てて来たのに?!そんな言い方はひどい、屈辱^^;と、当時は感じたわけですが、なーんといいますか、20年もたって思い出すと、
実際そーだよな~ と その人の記憶は薄れても(゚ー゚;その言葉については、最近しみじみと受け止められ、そうそう気をつけよう、と思えるのです。かなり理解に時間がかかるたちのようですが、理解できた事実は嬉しく感じられます。
いくつ理解できるか、昔と違っていくつ気づけるか、そんなところが、生きている間の愉しみでは。
あなたの言葉も、ひょんなところで思い出されて、役に立つかもしれませんよ。言葉を出し惜しみしないでね。間違ったと思ったら、重ねて説明すればいい。
…さて、このところ、風邪で授業を延期する人が何人か。気持ちのよい陽気ですが、思いがけず体が冷えたり体調を崩しやすいとき。こじらせないよう、疲れをためないようにしましょうね。体力温存して、おいしいもの食べなくては。
写真は郊外の公園にて。最後は、出番を逸したカボチャさん。(来年)「またね」、と、言い合える幸せを忘れないように。
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