占いなんかいらない?
気温の差が激しいですね。お元気ですか。
今日もまだまだ金環日食の話題が出ていましたが、グラスを買いそびれてチラ見したヒトオです。網膜症になるでしょうか(゚ー゚)
愉しいことも、気がかりなことも、次々と話題の多い今。色々なことが試される時代に入ったのだなと思えます。
時代、と言っても、今日来られた88歳の生徒さん(Yさん)が経験してきた時代を思えば、何かまだまだこれから、という気もいたしますが。
「占いと言うと、いやがる人がいるので、手の研究をしていると言うと、皆さん手を見せてくれます」
と、Yさん。
手指のかたちに興味があると言い、趣味の太極拳をしている最中にも「人の手が気になってしょうがない」。そして本当に「占いをしているつもりはなく、手の研究をしていると思っている」そうです。
なんだか、ありがたいお言葉。わたしも精進せねばと気持ちが引き締まりました。そうして、占い稼業にどっぷりはまったわたしのなかにも完全にはぬぐわれずに残る、ある違和感を、払拭してくれる「手の研究」という、この言葉、いただきました!^^
手相も算命学
もカードもおまじないも^^何でも好きなのですが、”占い好き”か、と、問われると、そうでもない?と思ってしまうわたしは、徹底されていないのか、これでよいのか。わかりませんが。
昨日、今日と、手相関連の企画打合せがあったのですが、そのときに、姓名判断の話が出ました。
仙乙恵美花の仙乙(ひとお)という名前が読みにくいので、そこを聞かれることが多いのです。
仙乙恵美花は本名ではなく占い師名で、7年前に独立した際に、それまで本名で仕事していたのを心機一転、変えたものです。何でも自分で実感できないとお客様にお勧めできないほうなので、人体実験というわけです。こんなことでは、姓名学の祖にお叱りを受けてしまうかもしれませんけど。
「効果はどうですか?」
と、昨日聞かれました。
どうでしょう。無名なのに本も出せたし、個人で細々やっているのに様々な人が来てくださるのは、充分恵まれているのでは、
と答えながら、名前を変えたからだけではないけれど、とも内心思いました。
過去があって今がある、努力なくして結果なし。わたしの努力はたいした努力ではないけれど。誰であっても。占いだけではだめなんだ。
そう思っています。
努力している人、なんであっても、ひとつのことを続けている人を、尊敬しています。
「結局、がんばれってことですよネ」と、よく、お客さんたちからまとめられて苦笑していた日々もありましたが、今もそこのところは変われないのかも。だから占いなんかいらないのかも。そうであっても、
わたしはやるべきことをやっていて、悩めば相談相手は必要で、その相手は多くの場合、身近な人でなければ、カードか命式、そしてぢっと手を見る。そういう行為がわたしには絶対に必要。
…あらま何を力んでいるのやら(゚ー゚) 店じまいして帰りましょ。明日は、懐かしの築地で、手相入門講座の第一回目です。どんな出会いがあるでしょう。皆さん、お手柔らかにね。
写真は、向丘遊園地跡のばら園にて。いただいた黒薔薇(下の写真)に触発されて、ふらっと出かけたのでした。備えして、平穏な日々を心から祈ります。












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