誰でも現在に不満があるもの、それが人生? ダリ、パリ、サイ。
昨日、とある生徒さんから「2013年からムー大陸の再浮上が始まります」という本を紹介されました(゚ー゚) 今年まもなくの地震や災害を予言するもので、タイトルに劣らぬなかなかのインパクト、話題のようですね。
東京脱出準備をされている方もいるそうです。そうか…。
さて、わたしは、日曜日に新宿で「ミッドナイト・イン・パリ」という、久しぶりにウディ・アレン映画を楽しみました。
今日のブログのタイトルは、その映画の中のセリフから頂戴しました^^
小説家志望のシナリオ作家が、パリ観光中にタイムスリップ。憧れの1920年代の文化人たちと交流するファンタジックなストーリーですが、そこはウディ・アレン、皮肉が随所に。
20年代に生きるアーティストらは、過去の1890年代のパリに憧れ、さらにタイムスリップしたところでは、さらに遡るルネッサンス期がよかったと口々に。
「誰でも現在(今の時代)に不満がある、それが人生というもの」という言葉に、自然と頷けます。
わたしは絵描きのダリが好きなので、映画に出てきたようなサイ好きでおちゃめなダリに会えるなら、過去にタイムスリップしてみたいけれど、
今の目の前を生きているわたしじゃなければ、ダリにヒゲで笑われちゃうかもね。さて、まぁがんばろう、と、思える映画でした。
先日の記事で、若き日の暗中模索時代なんて書いてしまいましたが、苦悩の多くは、不満から生まれていたように思います。例えば身近な人が続けて亡くなってつらい、そういうとき、心が引き千切られるように感じたものですが、それでも今思い返せば、冷たいことに、その人への想いは薄かったかもしれません。
どうしてみな(みな?)私を哀しませるのだ、と。いなくなってしまった相手に対して、トラブルをおこす身内に対して、あるいは、誰とは言えない世界のようなものに対して、心の痛みを引き起こされることへの大きな不満。
何も起こらなければ、起こらないことへの不満が湧いたでしょう。
先の大震災や犯罪の被害にあっている方々からみれば呑気に過ぎる感慨ですが。
どうして、このような人生なのかな?
そんな漠然とした問いへのヒントが、たまたま見た映画や小説のセリフにあったり。創作とは、本来そういうものでしょう。
わたしのしている仕事も、僅かでもそうしたヒントのひとつになるのではという想いがあるから続けているのかもしれません。
色々な人の話に触れ、また自分自身をも振り返る時、人生は小説、映画のようなものだと思うことが多いです。結末をどうします?
変えていけるところもあるし、変えられないところもあるはずだけれど。
主人公は自分で、作者も自分。そうして結末へのプロセスはきっと変えていけるけれど、書き続けるのに根気がいりますね。
昨今の酷い犯罪の報道に触れると、こころの弱いひとはこころのきれいなひとを道連れにすると思う。許されることではないけれど、そこにそのひとの渇望を見ます。カミサマの意図は?
…
姿勢を決定したいときには易占タロット。続けざまに出た「離為火」の卦。心の揺らぐときにわたしはよくひきます。性急さを戒められます。
安心できる、ということがなかなかないけれど。明るく生きている人はこころが豊か。それはその人が書いている物語。熱心に耕されているこころの耕地。そんな物語をたくさん読みたいものです。わたしも、ささやかながらわたしの物語、わたしと身近なひとたちの物語を書き続けましょう。
気候のせいか体調いまひとつの人、多いよう。お体大切に、備えして。平穏を心から祈ります。
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