「でも生きてる。」希望の国と預言カフェ
気になっていた映画「希望の国」(園子温監督)を見てきました。
舞台は長島県大葉町。東日本大震災後に再び起こった大地震と原発事故により翻弄される家族を描いたフィクション。
震災後の問題がまるで解決しておらず、判断を保留している人も多い中で、どのようにこのテーマを描いても、色々言われたり批判されるのはわかりきったこと。あるいは遠巻きに敬遠されるか。わかっていながらいち早く撮ったことが偉い、と、感じ入りました。
途中、失笑してしまった場面もあるのですが、笑ったことよりも、そのとき、「こういう映画で笑ってはいけないのでは」と一瞬感情を抑えたことに気づいてハッとしました。
笑いたければ笑え、泣きたければ泣け、あざけりたければあざければいいのでしょう。作り手には作り手の決断があり、受け取り方は受け取る人の自由だから。
「希望の国」というのはアイロニーで、
この国には希望などもうないことを、園監督は突きつけているように思えます。
夏八木勲さんが演じた強くて頼れる父親的な存在ももういない。のかもしれない。
「でも生きてる」。(作中の台詞)
何もかもが頼りない。誰も頼りにならない国。
「愛があれば大丈夫」。「そうかな」。「愛があれば…」。「そうかな…」。…大丈夫じゃないかも!
「でも生きてる」。
もう希望なんてないんだから、希望を与えてくれそうな誰かにすがろうとするな。自分で決めろ。
見終わった後に、そのような精神がわたしの中には残りました。
少なくとも「震災を忘れないで」というだけの社会派作品ではないことは確か。アナーキストと思っていた園子温監督が震災・原発をテーマに作ったと知り見たくなったわたしにとっては、合点のいく作品でした。他にもっと様々に語られていい題材なのに、なぜ作られないのでしょうね。日本らしい現象でしょうか。
…自分で決めるということは、難しいのですね。
だから、なかなか自分で決断できない人にとって、決断を迷わない強い人というのは魅力なのかも。吸引力があるのかも。
たとえその相手が極悪人でも。
尼崎の事件にもそのようなことを感じます。
と、そんなことを考えながら、劇場を出てから向かった先は、高田の馬場の預言カフェ(゚ー゚)
あらら、自分で決めるはずなのに預言とは、って? えぇ、噂に聞く預言カフェにも一度は行ってみたかったのでした。行きたいところへ行くという自由を決断(^^
かなり並んで待つと聞いていたのですが、すいている時間を詳しい人から教えてもらって狙っていくと、5分ほど待つだけで席につけました。
コーヒーを頼んで待っていると、30~50代ぐらいとおぼしきお姉さん方が順番に席を回ってきて、預言を3分ほどの早口で伝えてくれます。録音推奨なので、ICレコーダーにしっかり録りました。クリスチャンの方たちが運営するカフェなので、「主が言われます」という預言になるのですが、勧誘などはありません。
タイミングがあって行ったわけなので、腑に落ちる預言をもらえて有意義でした。同行者も納得していたようでした。落ち込んだ時に通っているとそのうち礼拝にも出てみようかなと思う人もいるかもしれませんが、宗教とはもともとそのような性質のもの。コーヒー代800円で気持ちの上がるチャネリングをしてもらったと考えると、大変ありがたい気持ちになります。
…写真は、同じ日に行った草月いけばな展(日本橋高島屋)のもの。本格的な生け花の展覧会は初めてで、けれど、生け花というより現代美術?といった様相で少々驚き、その創作エネルギーのお裾分けいただいてきました。Kさん、チケットありがとうございます。
…立冬を過ぎて。年末に向けて時間の砂の落ちる速度が早まってきたように感じられる今日このごろ。ですが、あせらずとまらず「一歩、一歩、一歩、」(「希望の国」)道を踏みしめ進みたいもの。
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