生きて起こったこと。
お昼頃から晴れてきて気持ちのいい午後でした。夜の授業が変更になり早く帰る予定が、電話を待って少々居残り(゚ー゚)
アルジェリアの人質事件が悪い結果で全体が見えてきて、かなしいです。故郷から遠い地で、不本意に命を奪われた方々、
さぞご無念であったでしょう。
最初は伏せられていた名前が、公表されて。そのことについてさまざまな意見があるようですが、わたしは、どのようなことでも、死者の名前は明かしてほしいと考えます。名前がないと、「死者○○名」という数の一部のようなぼんやりした印象となり忘れやすい。
「日本人」という、日本人なら誰でもいい、何か間違えばわたしやあなただったかもしれない、数の中のひとつとして命を失った人たちだからなおさらに、個別の人生のエンディングを悼みたいと願います。
と、
縁もゆかりもない人間は気楽に言えるものかもしれませんね。ショックや心無い取材にさらされるご遺族の心痛に寄り添えば、違う言葉を出さなければいけないのかもしれませんが。ただ、残された方々の思いも様々でしょう。
亡くなられた方々の心境もまたはかることができないけれども、
「○○さん、怖かったでしょう、大変な目にあいましたね」と、知らない人であってもひとときでも、その人が生きて死んだことに想いを寄せて悔やみたい。けれど名前がなければ寄り添えない。
そして、亡くなられた方々は現地でどのような生活をし、どのような役割があったのか。この死は避けられないことだったのか。当該企業の姿勢や安全対策、今後どのようなことが必要とされるのか、といった、亡くなられた方々の死を無駄にしないような、日本人の「無関心」に鞭を入れるような報道が、これからされることがあるのでしょうか?
大きな事件があると決まったように、売れればいい、目立てばいい、視聴率を稼げればいい、と、報道陣がセンセーショナルなネタ探しのみに奔走し、つらい遺族に追い打ちをかけるから。そんなことなら実名は公表しないほうがいい、となる考えにわたしも共感できます。けれどもすべてがそのような流れになっていくとしたらあやういことです。企業と政府の意向のままに人の死が扱われるなら、死が無駄になる。
ジャーナリスト魂って、もう幻想なのかな?
影響力が本来あるはずの報道陣の誇りを問いたい思い。本日は偉そうに更新、ですね、恐縮です。
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