迷いの出口。
まだ寒いけれども、昼間の日射しには春らしさが感じられるようになってきましたね。
自由が丘からも歩いていける九品仏浄真寺へお参りしてきました。ご近所なので、年に何度か参ります。
広々として、静謐な空気が漂っています。平日ならたいてい静か。桜のシーズンが華やかですが、今しばらくはささやかに花をつけている梅の花が主役。
本堂前で手を合わせると、こころがシーン。
たえず頭にあるあれやこれや、追われるような心持ちが一瞬払われて、少し哀しいような安らかな感覚に満たされました。
哀しいって変でしょうか。了解感とでも言うような感覚というか。ひとときの心の平穏が有り難かったです。
時の歩みは止まらず、現象は移り変わり、人や自分の想いも変わってしまう。けれども、自分の魂の置き場というものは、幼い頃と変わらぬところにあるようにも感じられます。
迷い
どんなに知らない町からも
人づてに帰ってくることができる
しかしこの迷いの出口は
誰も教えてくれることができない
どんな鳥でも
鳥でさえあれば
飛ぶことを許されているのに
この迷いは
にわとりのように
空の広さを求めようとしない
空でさえもう
迷いを解きほごす深さを失ったようだ
…ふと開いてみた葛西洌さんという方の詩集に見つけた「迷い」という詩。最初のフレーズに惹かれました。何に迷っているかさえ明確ではない「迷い」。その出口を知りたくても、(自分以外の人は)「誰も教えてくれることができない」。その不毛感。そのむなしさを思うことがわたしにもあります。けれども、詩は、こんなふうに続きます。
そんな時は
目をつぶるだけでよい
目をつぶると
はじめも終わりもないまして
ひかりも闇もない
季節の流れに
球状の白い果実を見ることができる
その苦い味と迷いの狭間を
烏賊のように斜めに泳ぎぬけると
ふいに身体がほぐれるような
やさしさに出会うこともある
あれはきっと風なのだ
吹き抜けたあとのけだるさで
それがわかる
それからきのう
汗にまみれて掘り起こした
土器のかけらに刻まれた
深くつめたい国の神話なのだ
誰もが知っていそうで
誰も思い出せない文字のような
この迷いの 深さの予感
顔中のひげを伸ばしたまま
すこしあかるい夜の部屋で
きみはいつまでも謎ときをつづける
*「葛西洌詩集」(土曜美術社出版販売)
…目をつぶるというのは、「迷い」から逃げることではないでしょう。「迷いの狭間を」「泳ぎぬけると」、「ふいに身体がほぐれるような/やさしさに出会うこともある」と。
いつもいつも出会えるわけではなく、それほど迷いは深いのだけれども。思索や苦悩、すぐに結果の出ないような行為の積み重ねがあるから、また、ときに「やさしさ」と感じられる了解感に出会えるのではないでしょうか。
深い謎を解きつづける。なにか、生きるという行為を見るようで、この詩に慰めを得ました。最終連で、「すこしあかるい夜の部屋」と、部屋の少しの明るさが希望のようにも感じられます。
少々おカタクなったので、最後はくまもんの写真で(゚ー゚)
来週末ははや三月。このところ、受講生や修了生の方たちから、3、4月のイベント出演のお知らせや相談が続き、♪もうすぐ春ですね、愉しげな蠢めきが感じられてきました。
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