汚泥にまみれて光(中村哲さんの言葉)を見る。午未天中殺の役割とは?
大雨、大丈夫ですか。
猛暑でヘバリ気味だったので雨もいいかなと思いましたが、昨夜からこわいくらいの雷鳴。被害が最小限でありますように願います。
いっとき雨が収まると、蝉が一斉に鳴きました。短い夏、短い生を懸命に。
夏はちょっと感傷的になりやすくて困りますが、
人間以外の存在に意識が寄りやすいのか、
世の憂い事に失望すればするほどに、一方で、人は、名付けられない大きなものに内包されて、ほんのひと時を生かされているだけなのだろうという感覚が湧いてくる。だから、
生かされているこのひと時を、自分なりに生きればいいのだと、”ちっぽけな自分”に慰めを覚えることもあります。
主張すべきは主張して、ね。誰に遠慮がいるものか。
「自分もまた、患者たちと共にうろたえ、汚泥にまみれて生きてゆく、ただの卑しい人間の一人に過ぎなかった。」(「天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い」NHK出版)
戦乱と干ばつに苦しむアフガニスタンで、長年、用水路建設に取り組み、2019年12月に73歳で凶弾に倒れた中村哲医師が、若い頃、ハンセン病患者を担当していたときの言葉です。
自分を大きく見せない中村哲さんだからこそ尊敬します。
先日、ポレポレ東中野で劇場版「荒野に希望の灯をともす」を観てきたのです。世の様々な出来事に人間不信と生存本能減退に陥りそうな危うさを覚え、次元の高い人の生きざまに触れたいーという渇望にひっぱられて。
(なぜそこまでやるのか?という問いに対し) 「困っている人を前に逃げ出せないでしょう。/「できるのにやらなかった」では後悔が残ります。/自分に対する一種の見栄ですね。私は古い人間なので。」
「アフガニスタンやパキスタンに縁もゆかりもなかった自分が、現地に吸い寄せられるように近づいていったのは、決して単なる偶然ではなかった。しかし、よく誤解されるように、強固な信念や高邁な思想があったわけではない。(中略) 生れ落ちてからの全ての出会いーー人であれ、事件であれ、時代であれーーが、自分の意識や意思を超えて関わっていることを思わずにいられない」(*太字はヒトオ施す)
私を含めて多くの人はとても中村哲さんのように生きられないでしょう。けれども、こういう人がいるという事実が、弱った心を励ましてくれます。人間に失望したくないから。失望するとは、人間である自分をも見失うということだから。
生き方がキレイで立派なだけの人はいない。かえって、自分の中の薄汚い部分を自覚している人ほど、本質的な美しさに目が向かうように思えます。心が動く。人のキレイな部分を自分の中にも見たいという願いなのかもしれない、人として生まれ落ちたからには。
*中村哲さんについては過去ブログ(↓以下のリンク先)でも触れました。ご参考まで。
https://emika.way-nifty.com/letterbalance/2019/12/post-958447.html
(長い文章の最後のほうで)奉仕の精神を持ち生き方のきれいな人の運勢の形として紹介しています。
中村哲さんの手相も見ることができました。左の掌線が明瞭に写った写真をTwitterの映画アカウントで発見したのです(^.^)
小指サイドの月丘が豊かに発達し、理想家のロマンチストでありながら、手の形は四角張っており、10の爪も四角型なので、理想や理論だけではなく、決めたことは最後までやる実直な人。
「実(じつ)」により希望を叶えようとする現実行動意識の強さが表れた、ふくふくとたくましい手。
「財運線」も濃く長く伸びており、現実に向き合う意識と交渉力、お金をまわす才覚もあり、なによりも、
意思の強そうな「運命線」が手首より立ち上がり、中指と薬指の間へ限りなく近づいて伸びています。先祖の恩恵を強く受け、行動することで早くから道が決まりやすく主役的人生を歩む。朗らかな人柄で人望を集め、才能を認められて注目を集める相となっています。
そのような相だからそのような運勢となったのか、そのような生き方をしたからそのような手相となっていったのか。不思議と、手相のあり方とその人の生きざまはリンクします。
中村哲さん(1946年9月15日生まれ)を算命学の観点でとらえると、末代運と言われる「午未天中殺」グループの人です。
運勢的には旗振り役の開拓者ではなく、まとめ役。よく学び、複雑化した諸々のことをわかりやすく整理して人に伝えて一生を終える。意外や、個人主義的な部分が強いのです。著作に触れるとその点はわかる気がします。
ナイーブな心の持ち主でそつなく見えてもどこか孤独。孤独だからこそ、人の本質を知ろうとするのかも。
生まれ日は「壬辰(みずのえ たつ)」。
「壬(みずのえ・じんすい)」は、広大な海や、大河の流れを象徴します。知性や創造性を象徴する水でもあります。現実の大地(辰)で、大河(壬)に向き合い、枯れた土地と人々の心に水を通した人。
まことその方らしい生き方に心を打たれます。
そうした一方で、まとめ役の「午未天中殺」の人として、意外な人が浮かんできました。
安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者です。1980年9月10日という生年月日が正しいのであれば、
誇り高く、穏やかそうでも批判精神旺盛な「午未天中殺」。いったん自分の殻に閉じこもると孤独性が強まります。
さらに、意外だと最初に感じたのは、「丙戌(ひのえ いぬ)」日生まれだったこと。
「丙(ひのえ・へいか)」は太陽。本来は、まんべんなくあたりを照らす陽の光のように、聡明でのほほんと朗らかなムードの人が多い。
内心で悩んでいても、外からは「いつものんきそうね」と言われているぐらいが「丙」の人らしい。
日干(にっかん)は、その人のナマな心を表します。ですから、日干「丙」の人の表情が曇ったときは、太陽が曇ってしまったとき、その人の心はどん底なのです。
ひとつの方向しか見えず、陽光を集めてレンズで焼き尽くすように進むとき、その人の心はおわりに向かっているのかもしれません。
運勢とは不思議なものです。
殺人の罪は許されず、正当化するものでは決してありませんが、
山上容疑者の陰占命式の構成をみるとき、彼が生まれたことで、その母親の本質が弱められて母に負荷のかかる運勢の形になっています。(詳しくは省きますが、月干にある母親を表す十干「乙」が、複数の十干「庚」「辛」から剋されている)。
頼りにならない子供のような母を無視できず、意識が集中… 加えて、身内思いで家庭的、大切にしたいされたいという強い想いの現れた陽占の星を見るとき、哀しみと、誤解を招くかもしれませんが、運勢的な興味を覚えます。
焼き尽くす太陽「丙」と書きましたが、一方では彼は彼らしいとも言えるのです。
地上を照らしだす太陽の光で、いつのまにか国政に深く浸透していた旧統一教会の状況をあからさまにした役割を担った形です。
「午未天中殺」の人の「最後をまとめる」(人の精神のあり方を示す)役割とはなんなのか?
そんなことを、暑さでぼーっとした頭をなおさらボーっとさせつつ考えて、涙ぐんでしまう数日でした。ヤキが回ったか!
再び、中村哲さんの言葉を記して落ち着きましょう。
「私たち個人のどんな小さな出来事も、時と場所を超えて縦横無尽、有機的に結ばれています。そして、そこに人の意思を超えた神聖なものを感ぜざるを得ません。」
「人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人との和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。その声は今小さくても、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。
これが三十年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。」
"平凡な結論とメッセージ"が重いです。
暑さはまだまだ続きそうですが、7日は「立秋」、照りつける太陽が沈めば秋虫の声も聞かれるようになるでしょう。そうして今はいない人たちの存在を近くに感じられる8月、
時間は後戻りしないよと彼らは教えてくれる。恥ずかしいわたしたちのうごめきを見ていてくれる。その気配を頼もしく感じて、束の間の生のひと時を懸命に。
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